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【文春オンライン】ムラ社会に生きる日本の「サラリーマン」 “気楽な稼業”がもはや成り立たないワケ→Twitterの反応まとめ

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ムラ社会に生きる日本の「サラリーマン」

 企業という村に毎日通勤して、村の中の論理だけで働き、報酬を得る。これがあたりまえだった時には、働くということはそれほど難しいものではなかった。働くことの意味合いの多くが、会社組織の一員であるという安定的な基盤の上に成り立っていたからだ。

格差の広がりと世襲

 働く場所が基盤ならば、なるべく大きく強固なほうがよい。それはすなわち大企業であるほど安心だという理屈になる。就活をしている大学生の思考パターンはまさにここにある。

 日本ではいつの頃からか、良い家に生まれて、多額の教育費を惜しげもなく注ぎ込まれて良い学校に入り、良い会社であるはずの大企業に無事、就職するというのが、人生の成功パターンになっている。これはある意味エリート層の再生産をやっているようなものだ。この循環が長期にわたれば社会には新たな階級が生まれ、格差はどんどん拡大していく。

 現在ではたとえば政治の世界でそうした弊害が指摘されている。先代の地盤を引き継いだだけの二世あるいは三世議員ばかりが国会を占め、民の本当の傷みや苦しみを理解できない、しようともしない政治に失望している人もいる。

切っても切っても同じ顔

 実は大企業社会の中でも同じような閉塞感が出始めている。二世や三世社員が増えたというわけではない。同じような思考回路を持つ金太郎飴のような社員ばかりで組織が構成されるようになっているのだ。あたりまえである。これまでの学校教育では、言われたことを素直にやる子が高く評価されてきたからだ。特にテストでの成績偏重を改め、内申書を重視するようになってから、この傾向がひどくなったように感じる。以前は先生に逆らうヤンチャな一面を持っている子でもテストの成績が良いと一定の評価がなされた。ところが今はある程度内申書の評価を得ないと学校では評価されにくい仕組みとなっている。

 そうした競争をくぐり抜けてきた、優秀であるはずの学生たちは、やはり安定基盤を持った大企業への就職に憧れる。採用する側もほとんどがこうした良い子たちで占められているので必定、自分たちと同じような種類の学生を採用してしまう。やがて組織は硬直化していくが、同様な思考回路の社員ばかりになってしまうと、そもそも硬直化しているという事態そのものにまで気が付かなくなる。いわゆる大企業病と称される状態に陥ってしまうのだ。

世界から遅れをとった日本

 会社の上層部はよく、改革だ、下克上だと叫ぶ。とりわけ社長が交代になるとほぼすべての新社長は「わが社には今こそ改革が必要だ」と言う。「前社長の施策どおりにやります」などと言うと、何だか社長交代した意味がないのではと考えてしまうからだ。しかしどんなに気張った改革でも所詮大企業という村の中で起こることなどは、他所からみれば、おままごとに等しいレベルのものだ。

 日本企業が世界中から称賛され、世界のマーケットを席巻していた時代はとうの昔に過ぎ去った。現在、世界をリードするのはGAFAと呼ばれるグーグル(アルファベット)、アップル、フェイスブック、アマゾンなどのITをベースとしたサービス業である。ところが今、日本企業で彼らに肉薄できる会社は存在しない。このGAFAにマイクロソフトを加えたGAFAMの時価総額をみると、すでに日本の東証一部企業の時価総額を超えている。日本企業からみれば、彼らはもはや視界にも入らない遠くを走っている。日本は平成時代にどうやら相当惰眠を貪ってしまったようだ。世界の急速な進歩から周回遅れになっているのは厳然たる事実だ。

原因は日本の“村社会意識”

 ではどうして、この30年の間に日本企業は世界から置いていかれたのだろうか。その理由は、日本の大企業に蔓延する村社会意識のせいである気がしてならない。良い学校を出た学生の多くが、今そこにある良い会社、安定した基盤がある大企業に就職するのだ。同じような人種が同じような境遇で育ってきた学生を、同じような価値観、つまり村の論理にそぐう人物と評価して採用するからだ。

 太平の世の中が続く限り、この方法にそれほど間違いはない。しかし、ビジネスの世界は時代の変化とともに急速に変わっていく。とりわけこの30年間は製造業のようなハード産業が、ITを利用したサービス産業に急速に取って代わられる30年だった。そこに日本は何の手も打てなかった。起業をする若者は少なく、良い学校を出た学生はあたりまえのように大企業にしか顔を向けない。みんながひとところに集まって、寄り添い、もたれあって仕事する。時代の変化には目をつぶり、小さくなっていく需要のパイを奪い合う業種で生きていく。日本は今でも人口が1億人を超えるマーケットが存在するので、まだ大企業同士で萎む需要を分け合うことができている。しかし、今後の発展は期待できず、大企業の中でもそろそろ寿命が尽きるところが出てきても不思議ではない。

 いっぽうでこれからの時代、情報通信機器を駆使して、自らの能力、アビリティを武器に仕事をしていく人が増えていくと、必然、企業組織も変わらざるを得なくなる。大企業の村の論理は崩れ、組織を構成する堅固な中間組織は不要のものとなる可能性がある。頑なに村の論理を守ろうとする会社は、世界の競争からさらに引き離され、国内需要が萎み続ける中で完全に行き場を見失うところも出てくるだろう。

サラリーマンは気楽な職業

 私自身20年ほど大企業サラリーマンをやった。思い起こしてみれば、大企業でサラリーマンをやることほど「楽な職業」はない。よく公務員が一番気楽、と言われるが、公務員は税金をいただいて働く身分であるだけに、公僕としての使命感と市民から監視されている緊張感から逃れられない。ところが、大企業はあくまでも民間だ。民間だから倒産するリスクはつきまとうが、これが大企業であればあるほど、可能性はそれほど高いものではない。

 米国企業に勤務したこともあるが、米国の企業に就職すれば入社したその日からレイオフされるリスクを常に背中に背負い続けて仕事をすることになる。だから必死に働いて成果を上げようとする側面もあるが、精神的にはかなりのストレスだ。いっぽうで、自身で会社をたちあげて社員を雇う身となると痛感するのが、日本の労働法では社員は非常に守られているということだ。大企業になればよほどの不祥事、法律に違反するような行為でもしでかさない限り馘になることは稀だ。大企業ならばなおさら風評を恐れて、簡単には馘にしない。

 だから、サラリーマンはお気楽なのである。では日本のサラリーマンの中で一体どれだけの人が、自らの仕事に誇りを持ち、業務の専門知識を磨くために勉強しているだろうか。会社が命じる資格試験や昇進試験のために勉強する人はいるが、自らが専門的な知見を広めるよう努力を続けている人はごく一部の方々だ。どちらかといえば、これは特に大企業サラリーマンに多い傾向のような気もするが、世の中や会社を斜に見て、評論ばかりしている人が多いように思われる。

テレワークによって個人事業主化

 この時季、終電間際の通勤電車に乗ると、一杯ひっかけたサラリーマン風のおやじたちが、会社や上司、同僚の悪口を言い合っている姿をよく目にするが、その話のほとんどが批判や評論だ。その姿は私には、会社という村の掟を基準にどうだ、こうだと文句を言い合っているだけにしか見えない。

 ポスト・コロナ時代、私はこのいい意味でも悪い意味でも気楽な商売だったサラリーマンという職業は世の中からなくなっていくのではないかとみている。なぜなら中間管理職の多くが存在意義を失い、テレワークによって個人事業主化した個人と会社が、業務委託契約のような関係でつながるようになれば、会社の中の上下関係や社員同士の鍔迫り合いはあまり意味のある話ではなくなるからだ。

 それぞれがプロ意識を持ち、自らのアビリティで仕事をするようになれば、嫌なら契約を解除して別の先と契約しなおすことができるようになるからだ。

“身分の保障”が得られない可能性が出てきたサラリーマン

 いっぽうで能力のないサラリーマンのままでは、これからは会社の中で排除されていく運命にある。村の掟しか知らずに時間を重ねてしまった彼らに生きる道はわずかなものとなってしまうはずだ。もはやサラリーマンという身分は保障されなくなり、在宅勤務という名の自宅待機を命ぜられ、楽しかったはずの村にも通うことすら叶わなくなってしまうだろう。

 需要がどんどん膨らみ経済成長を続ける時代は誰でもが幸せをつかむ道があった。サラリーマンになって、大きな失敗もせずに真面目にコツコツ勤めていれば、年齢とともに給料も上がり、多少の違いがあったとしてもある程度の役職にも就くことができ、定年時にはまとまった退職金と大企業であれば潤沢な年金もいただけた。

 しかし今、サラリーマンの最上位層に君臨する大企業サラリーマンの間でさえも大きな変革が訪れている。このままでは身分の保障が得られない可能性が出てきた。仕事のしかたが変わる、組織が変わる、人の評価が変わる。ブランドで選んでいた就活にもやがて変化が訪れるだろう。

今からでも遅くはない

 ところで、この不要となった大量のサラリーマンはどこに行けばよいのだろうか。日本の法律上では簡単に馘にはならないが、おそらく会社はこれまでのように彼らを手厚く遇してはくれなくなるだろう。もはや村民として楽しい暮らしを保証してくれることはない。

 残念ながら彼らが今までできると思っていた仕事の多くは、ITに代替されてしまう。いくら人手不足だといっても、事務系の仕事以外で、たとえば今さら肉体を駆使するような仕事に就けるとも思えない。

 サラリーマン苦難の時代の到来だ。だからこそ今からでも遅くはない。自分の職能、アビリティは何なのか。それが見つかれば徹底的に鍛え、磨き上げることをやっておかなければ手遅れになる。

 おそらく現在から10年以内にサラリーマンという単語は死語となっているだろう。だいたいサラリーマンという職業定義はおかしなものだ。何ができるのか何も語っていないからだ。設計士だって鉄筋工だってコンピュータープログラマーだってユーチューバーだってなんとなく何をやっているかわかる。サラリーマンって? いったい、誰が何をしているの?

https://bunshun.jp/articles/-/42132

Twitterの反応

管理人Hidesuke
管理人Hidesuke

日本人は働くっていうことの意味を一から考え直さなければならない。
私もそう思っています。

安定を求めるあまり、見せかけの巨大な泥船に乗って遊興に興じている人は、今もとても多いと思います。

組織では中枢を担っていたゼネラリストはどんどん不要になってきて、 ごく一部のスペシャリストだけが機械やAI化に曝されずに済むようになるでしょうね。

何をどうしていいかわからないという人へ

わたしからアドバイスできるすれば、

ひとつは職業キャリアではなく、ライフキャリアを考えるべきだと思います。
もうひとつは就社ではなく、就職するべきです。

ライフキャリアとは

どんな人間でありたいか?どんな人間でありたくないか。
仕事や職業は、それを具体的に現実化させる為の「手段」です。

就社ではなく、就職するとは?

会社という限られたコミュニティの中で通用してもこれから先はどうにもなりません。
その為にも社会全体で通用する『職』、つまりスキルやアビリティを開発していく必要が有ります。

約束のネバーランドになるな

みなさんは『約束のネバーランド』ってアニメご存知ですか?
最近映画化されて話題になりました。

少し穿った見方かもしれませんが、サラリーマンでのうのうとしているのは子どもたちと同じだということかと。

良ければ一度、ご覧ください。考えさせられると思いますよ。

もし詳しい話を聞きたいという方がいれば、Twitterでご連絡ください。
私でよければ相談にのります。

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